3.本願寺の実態
ただ、機関紙上でハッキリと、「真宗の本尊は名号なり」と発表しているのに、12年経った今もなお、全国どこへ行っても名号を御本尊として安置している寺もなければ、御門徒もおりません。
「教義」と「安心」と「布教」がバラバラな本願寺の、こうした実態を目の当たりにするにつけ、何とも悲しいかぎりです。
実例を、紹介しましょう。
再考ブログにも載っている、つぎの弁論の内容が、まさにそれですから。
また、ある弁論大会では、こういう弁論もありました。
高森先生は仰います。
「もっとも尊ぶべきご本尊から狂えば、当然教えも狂ってくる。木像を本尊にしている本願寺に、真実が説けるはずがない。まず、ご本尊から正さなければ」と
(第136回弁論大会 ある女性講師部員の弁論)(「再考」ブログ 最後に より)
詳しくは、つぎのような内容でした。
現在の本願寺はどうでしょう。
生涯御名号しか御本尊にされなかった親鸞聖人に逆らい、「木像よりは絵像、絵像よりは名号を本尊にせよ」との蓮如上人のご教化にも背き、本願寺はじめ全国の末寺は、みな木像を本尊にしているではありませんか。
自宅で講演会をしておられるNさんは、絵像本尊でした。「学徒になられて5年、聞法熱心な方なのに、なぜ?」と心痛めていました。大切なご主人や、息子さんを亡くされ「寺には世話になっている。先祖代々の御本尊を、簡単に変えられない」と決断できず、大変悩んでおられました。悩みに悩み抜いたあげく、ある日、手次の寺に行き、「親鸞聖人直筆の御名号に変えたいのですが」と相談したところ、住職は早々と手配し、数日後、Nさんのお宅にやってきました。その時、私は、Nさんと話をしている最中でした。住職は無断で座敷に上がりこみ、テーブルの上にポンと箱をほうり投げ、「本山から宅急便で御本尊を取り寄せたから見てくれ」と仁王立ちのまま言いました。私と目が合い、鉢合わせ。すると親鸞会のこの金バッジをみるなり、そそくさと逃げ出したのであります。
届けられた宅急便を開いたら、名号本尊は、パソコンで打ち出したようなゴシック体の文字でした。Nさんは、呆れて「住職の御本尊のあの扱いは、なんだ。親鸞会の講演会では、いつも支部長が白手袋されて粗末にならないようにと、慎重に丁寧に正御本尊をお取り扱いなされているのに、えらい違いですね。やっぱり私は親鸞聖人直筆の御名号をご本尊にさせてください」と遂に本会に御下付の申し込みを決意されたのであります。
正御本尊をご安置されたNさんは「お仏壇も私の心も一変に明るくなりました」と晴れ晴れとした顔で言われました。
皆さん、どう思われましたか。
「真宗の御本尊は、名号か、形像か」の前に、「御本尊」に対する根本の思いに、天地雲泥の差があることが、お分かり頂けるでしょう。
この住職の心はどこにあるのか。「名号といってもただの文字だ」ということなのか。何とご名号を放り投げる始末。そんな不遜な態度に、住職の信仰心のなさが、如実に表れているではありませんか。
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