1.真宗では名号が一番よい
こう言っています。
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり
当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり
(蓮如上人御一代記聞書)
について考えていきます。
そもそも、この文証についての親鸞会の解説でさえ、
「他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像というなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号というなり」
と記されている。
これは、蓮如上人が浄土真宗の正しい御本尊を明示なされた御言葉である。
即ち、真実の仏法が分からない他流の者達は、御名号(南無阿弥陀仏のこと)よりは絵像がよい、という。また、絵像よりは金ピカの木像が、もっともよいと木像を本尊としているが、それは、本当の仏法が分からない連中のやっていることだ。
親鸞聖人は、それとは全く反対に、金ピカの木像よりは絵像の方がましだ。
絵像よりも御名号を本尊とするのが最も正しい。
(白道燃ゆ)
とあり、比較相対で論じています。つまりこの文証は、「真宗では木像<絵像<名号であるから名号が一番良い」ということで、「名号が一番良いのだ」とは言われているものの、「木像や絵像ではダメだ」とする文証とは言えないのではないでしょうか。
(「再考」ブログ 「蓮如上人御一代記聞書について」より)
せっかく蓮如上人が懇切丁寧に、
「木像よりは絵像、絵像よりは名号」
と比較相対し、優劣可否をつけられて、
「だから真宗の御本尊は、名号が一番よい」
と教えておられるのに、それでも、この人は、
「木像絵像でもよいのだ」とするワケですね。
これだけでもう、なにをか言わんや、というべきでしょう。
蓮如上人が、
「真宗では名号が一番よいのだ」
と言われたお言葉であるということを、ハッキリと認めながら、どうして、ブログまで作って「本尊は名号でなくてもいいのだ」と、これほどまでに強弁しなければならないのか。
蓮如上人が、「他流の本尊だ」と言われている「絵像や木像」に、どうして「それでもいいじゃないか」「ダメとは言われてないだろう」などと固執するのか。
蓮如上人の仰せに従う気が、はじめからないようです。
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